ガムシャラモラトリアム


『人生楽ありゃ苦もあるさ』と水戸の御老公の主題歌でも歌われている様に、良い事と悪い事はバランス良く配分されているものだと最近思う。

少し前を振り返ると自分にとって喜ばしくない状況が続いていたが、最近は自分の周囲に嬉しいニュースが広がっている。

とはいえ自分自身に何か良いニュースがあったという訳ではないが、自分自身がお世話になっている方々についての嬉しい知らせが舞い降りているというか。

僕の自慢の兄貴(not血縁です)が大学院試験に合格したり、何年も付き合いがある友人と、高校時代にお世話になった部活の先輩が共に来月挙式することになったり。

直接的に僕自身の事ではないにせよ、自分の親しい人々に幸せが届く事をとても嬉しく思う。

特に兄貴の合格は嬉しい出来事でした、親しいからというのもあるけど、誰よりも一生懸命に努力していたのを見ているから。

これからが本格的なスタートだとは思うけれど、本当におめでとうございます。


そんな姿を見ながら自分自身ももっと頑張らないといけないと、気持ちを奮い立たせる。

今は新しいフィールドに飛び出す前のモラトリアム期間ではあるけれど、それでも時間は止まる事なく流れていて、永遠ではないこの時間はいつかは終る。

卒業論文の締め切りが近づいたり、企業の研修や配属面談に参加したり…そういった直接的な要因のみではなくとも、季節の移り変わりを体感するたびにそう思う。

(ちなみに今年は清涼飲料水『あまざけ』『おしるこ』がバイト先に登場した事で季節の変わり目を感じたりしたよ。)

そうした限られた時間を無駄にしないためにも今は何事にも貪欲に臨んでる。

最も全力で取り組んでいるものはやはり卒業論文を中心とした学業だけど、バイトもそう、遊びもそう、趣味の時間もそう、時間を無駄にしないために何事にもガムシャラ、体力に限界なんてそうそう感じない。

その果てに何か見えれば幸いだなって最近思う。

何かを成す為に努力する事は当然だけど、ガムシャラな努力の果てに何かが見えてくるのもそれはそれで大事なことなのかもと思う。

今までの人生で何かを意識して生きてきた訳ではないけど、その経験一つ一つが僕を構成する要因となっているから…何事も経験あるのみ、努力するのみです。

こうしたとりとめない文章を書きながらも、実は数時間後に控えている個別の卒業論文指導用のレジュメが作成できておらずあっぷあっぷしているところも『あぁ俺らしい』って思う。

【人間が人間として存在する上での身体の持つ責任の根拠】を自分なりに考察してまとめろだなんて…ハードルが高いですよ教授。

そうやって嘆いていたところで何も進展しないので、Franz Ferdinandでも聞いてテンソン上げて頑張ります。